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家族2 −生殖家族をなすまで 小学校〜高校時代−

小学校低学年のころは、「家族1」にもあるとおり、異常に大人しく、ぼんやりとした子どもでした。

小5で転校したのですが、周囲から見て変な子だったのか、しっかりといじめられました。

下駄箱のところで腕をつねられたり、クラスのみんなに無視されて、清掃の時間に「でんでん、むしむし」と歌われたり(笑)。

今なら笑えますが、当時はなかなか、暗黒でした。

担任の先生も、ものすごく厳しくて。

先生が、私の親戚の女の子(とても優秀)を指導したことがあり、その子と比べて私が愚図だったため、「親戚なのに、随分違う」みたいなことを言われたり。両親のことを悪く言われたり。

家庭も暗く、学校もつらく、そのおかげで、眠っていた意識がこの頃になって、やっと目覚めた感じがします。

 

中学に入ったら、テストの成績が発表されるようになりましたが、何故か意外に、好成績でした。

勉強が出来るという自覚がなかったので、結構びっくりしました。

合唱部だったのですが、何故か部長に選ばれたりもしました。

自分では、全く記憶にないのですが、それなりに学校内で頑張っていたのかも知れません。

ただ、合唱部の部長は本当に役立たずで(楽譜が読めず、ピアノも弾けず、指導力0だったため)、引き受けたことを100万回後悔し、引退の日を指折り数えていました。

高校入学時に、秋田県から岩手県盛岡市に転居。

越境入学となったため、学力的にかなり安全な高校に入る形となりました。

結果として、学内成績は、常に5番以内、結構1番というような状況でした。

でも、相変わらず友達づくりが下手で、昼に一人でお弁当を食べるタイプでした。

これも、今書くと一行で終わりますが、当時は結構、ブルーなことでした。


高校生活は、全般には暗いものでしたが、いくつかの素晴らしい想い出もあります。

少ないながらも気の合う友人が出来、4人グループになりました(弁当グループとは別のまとまりですが)。

そのグループで、平泉・中尊寺に遊びに行ったり、国語の授業を抜け出して、あちこち歩き回ったりしました(みんなまじめだったので、1度だけの想い出です。しかも歩き回ったのは街ではなく、野原や山の中でした 笑)

そのグループの友達のことが、大好きでした。

でも、そのうちの一人が、23歳の若さで、事故で亡くなってしまいました。

彼女は、グループの中で「一番いいお嫁さん、お母さんになるね」と言い合っている、素朴で可愛い子でした。

きっと、夢見ていたであろう結婚をすることなく、お母さんになることもなく、天国に行ってしまいました。

そのことを思うと、本当に胸が痛みます。今も、我が家には彼女からプレゼントしてもらった小さなコーヒーカップがあります。


また、高校時代からすごすようになった盛岡という街は、素晴らしい街でした。

歴史のある建物。文学的な香り。岩手山。中津川。北上川。名もない山の、緑の深さ。

冬以外は自転車で登下校していましたが、盛岡の街を自転車で走り、建物や景色を見るのが、本当に楽しかった。

そこに暮らしているだけで、心が豊かになっていく感じでした。


進学については、経済的な面で、国公立・出来れば地元という選択以外、難しい感じでした。

地元の国立大学は、当時の学力から見ると少し不満があるレベルで、出来ればもっと良い大学を狙いたいなと思っていました。

共通一次の併願校は、偏差値より高めの関東圏の大学を選び、結果としてそちらは不合格に。

あまり本意ではないながら、地元の大学に入学することになりました。


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