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家族3 −定位家族から生殖家族へ 大学時代〜就職−

入学することになった大学は、当時の自分の学力からすると、少し不本意な進学先でした。

経済的な事情や自分の志向から、私立大学の受験はせず、地元国立大に進みました。

高校時代、クラスメートとなじめず、不適応だったのは自分のせい。

大学に入学が決まったとき、「大学では、心を開いて人と接しよう。おかれた環境の中で、最高に充実した日々を過ごせるよう、前向きに日々を過ごしていこう」と決心しました。

その決心を、入学式直前に日記に綴ったことを、今も鮮やかに思い出すことができます。

大学生になることへの、わくわくした気持ち。また、不適応になるのではないか、という不安。

 


入学式のとき、勇気を出して、隣の女の子に声をかけてみました。

超人見知りの私としては、かなり画期的なことです。

その子は、とてもかわいくて才能のある女の子で、その後の専門が同じだったこともあり、ずっと、仲良く過ごすことが出来ました。

2年生からの専門課程は、当時一学年20人という少人数コースでした。

少ない人数の仲間と、長く関わる、という大学のスタイルが、自分にはあっていて、たくさんの実験や調査を行う中で、20人の仲間との絆を深めていきました。

大学のカリキュラムや先生の指導もとても充実していたので、勉強が楽しく、仲間といるのも楽しく、卒業する頃には「最高の大学に入ることが出来た」と感じるようになっていました。

複数の学部を抱える大学のキャンパスは広大で、池や森もあり、大学にいるだけで「守られている」という感覚が持てるような素敵な場所でした。

盛岡という素敵な街に住み、あの大学に進めたことは、今振り返れば、神様の采配かと思うような幸運でした。

そしてまた、あのような素晴らしい大学時代を過ごせたことは、入学前の「決心」が、少なからず影響していると思います。


人は、定位家族を選べません。住む地域も、学校も、一定の枠組み(フレーム)の中で生きていかなければなりません。

そのフレームの中で、自分をどのように幸せにするのか。

もちろん、限界もありますが、環境による限界もフレームとして捉えれば、その中で最大限に自分を幸せにし、自分を充実させるのは、自分自身なのだ、と感じました。

その力をつかみとっていく時期が、十代なのではないか、と思います。
大学を卒業し、公務員となったのですが、数年の間に、両親が離婚したり、大好きだった祖父が亡くなったり、高校時代の数少ない友人が事故死したり、とつらいことが続きました。

仕事も、毎日10時まで残業しなければならない程忙しく、やってもやっても仕事が終わらないので、人生で初めて、「自分の能力の限界」を実感することとなりました。

職場で指導を受ける先輩にも、いじめられてしまいました。

ストレスで肌がぼろぼろとなり(洗顔すると出血するほど吹き出物が出た)、精神的にも随分不安定になったのですが、夫となる人に、支えてもらいました。

大変な日々でしたが、仕事によって、他の人に認められること、感謝されることもあり、精神的には成長することが出来たかな、と思っています。

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