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家族1 −定位家族−

大学で社会学を学んだとき、「定位家族」と「生殖家族」という分類を知りました。

定位家族は、子どもとして生まれ、育てられる家族。

生殖家族は、自らの選択により配偶者(その他のパートナー)を得て形成する家族。

その言葉を知ったとき、私はまだ生殖家族を得ていなくて、定位家族に属していました。

今はなき、定位家族の思い出。

 
私は、ひとりっ子として生まれ育ちました。1969年生まれですから、当時としては比較的珍しかったかも知れません。

「ひとりっ子だと、色々独り占め出来ていいね」と羨ましがられることが多かったと記憶しています。

でも、私の定位家族には、2つの特徴があって、そのことから、私自身は「兄妹がいたら良かったな」と思うことの多い日々でした。

私の定位家族の一つ目の特徴。それは、両親が聴覚障害者だったということです。

聴覚障害者の両親を持つこどもを「コーダ」と言うのだそうですね。

「コーダの世界」という本が出版されていて、そういった子ども達の持つ特徴が紹介されているようです。

私も「コーダ」の1人だったわけです。

例えば、乳児の時、私が一晩中泣いていても聞こえず、朝おきたら、部屋中が涙で濡れていて、それ以来、乳児の私と母親の手首をひもでつないで寝ていたそうです。

またあるときは、両親が気が付いたらテレビの上にのっていたこともあったらしく。聞こえないことで、通常の親が気付く危険を察知できないところもあって、綱渡りな育児を受けていたようです(笑)。


3人家族で、普通に耳が聞こえ、話せるのは私だけなのですから、幼少時から両親の通訳として活躍しなければならないところですが、私はそういう子どもではありませんでした。

ひときわ言葉が出るのが遅く、また、ものすごく恥ずかしがり屋でした。必要な会話が出来ないため、家庭環境に問題があると判断されたようでした。

手話で会話すると、ますます言葉が遅くなるということで、手話を使うことを禁止されました。

両親が障害者であるということは、自分にとっては生まれながらのことなので、異常だとか不幸だとか思うことはあまりありませんでした。

でも、自分が役に立たない子どもだったな、ということへの申し訳なさ感は、ずっと残っています。


定位家族の、もう一つの特徴は、まさしく私を不幸にしていました。

両親は、とてつもなく仲が悪かったのです。

そもそも、結婚したのが間違いだったというような仲の悪さで、仕事の忙しさと生活の困窮などもあって、いつも、不満・不機嫌・争いが渦巻いている家でした。

両親が、素直に仲良くしている姿を見た記憶がなく、何度か離婚するだろうと思われる時期がありました。

ただ、家族内はそういった状態でしたが、両親や別居の祖父母は、私のことはかわいがってくれました。

そのことが自分の存在の救いになっていたと思います。


「定位家族」から離れて10年以上が経過しました。

今でも、あの頃の心細い気持ち、劣等感を想い出します。

でも、あの頃の全てが今の自分につながっているのだから、あの頃の自分や環境も認めなければいけないな、と思ったりもしています。


               
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