『臨床家 河合隼雄』 谷川俊太郎・鷲田清一・河合俊雄 編


世に出ている人で、最も尊敬している人が、河合隼雄です。

「大ファン」といっても良いくらいです。

100年か200年に一度のような、希有な人だと思っております。

200年後くらいの社会の教科書に、「親鸞」とか「行基」みたいなレベルで載ってもおかしくない人だと思っているのですが、言い過ぎでしょうか。

もちろん、お会いしたことはないのですが、著作を読んでいるだけで、カウンセリングを受けているような、穏やかな気持ちになります。

2006年に病に倒れ、意識が戻らないままに2007年に逝去されました。

この本は、臨床家としての河合隼雄に焦点をあて、教育分析を受けた人々の邂逅や、逆に、最初に河合隼雄の教育分析を担当したユング派の分析者のインタビュー等で構成されています。

冒頭で、息子である河合俊雄さんから、倒れるその日まで、クライエントとの面談を続けていたこと、生活に困窮している人にあっては50分1000円という料金でおこなっていたことが紹介されています。

どんなに多忙でも、どんなに著名になっても、臨床家としての立ち位置を変えていなかったということを知り、非常に感銘を受けました。

教育分析(=臨床家や精神科医師等、分析を行う立場の人が、同業の先輩に自らの分析をしてもらうことで教育を受けることらしい)で語られるエピソードも、すごいです。

「セラピストは、舞台における監督でも主役でも相手役でもなく、観客、もっと言えば舞台に徹すること」「何もしないことに全力を尽くす」など、河合隼雄の心理療法のスタンスを明確に示す言葉。禅問答のようですが、このスタンスがクライエントを治癒の道へ導くわけです。

箱庭療法や夢分析の具体的展開についても掲載しているのですが、何ら指示がなく自然のようでいて、たどり着くべきところにたどり着いている。

まるで魔法のようで、誰にもまねできない河合隼雄のものすごさというものを知ることが出来ます。


それからもう一つ。

ユング派には「意味のある偶然」というのがありますが、私にとっても、この本を、このタイミングで手にとったことに深い意味を感じる内容がありました。

私は、普段、認知症、それに関係する権利擁護に関する仕事をしています。その関連で、小さな講座に参加しました。

そこでは、最初に、認知症に関するミニドラマを見たのですが、その内容が、認知症高齢者の哀しみ、家族のとまどいをうまく表現しており、私、見ながら号泣してしまいました(^^;)。

その後、参加者を相手に、お話をしなければならなかったですが、号泣のせいで鼻水すすりながらの説明に・・・。

仕事なのに、泣いちゃうなんて恥ずかしいなあ、ばかみたい、と思って、何となく割り切れずにいたのですが(他の人にも若干冷やかされるし・・・)。

この本で、河合隼雄が、事例報告をしながら、号泣されることがよくあった、というエピソードが紹介されていたのです。

そこだけ自分と一緒にするな、と言われそうですが(笑)、仕事に対し、真摯に誠実に取り組むときに、泣いてしまうという形で情動を表現してもいいのかな、それもまた、人の心を動かすことなのかも知れないな、と思いました。

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